2017年12月24日日曜日

《毒ガス移送 責任転嫁》外交文書公開「日米政府【琉球政府要求に難色】」

《毒ガス移送 責任転嫁》外交文書公開「日米政府【琉球政府要求に難色】」
〈琉球新報2017年12月21日 3面〉


外務省は20日、外交文書25冊を一般公開した。沖縄関係のファイルでは、日米両政府が
沖縄の日本復帰に必要な措置を実施計画を策定する「復帰準備委員会」の第8回会合で、
米軍基地内で見つかった毒ガス輸送について、米軍側の責任で撤去を求める屋良朝苗主
席に対しランパード高等弁務官が「そんなことでは事は進まない」などと琉球政府に責
任転嫁していたことが分かった。日米が移送ルートを変更しない方法も探っていたこと
も記されていた。


記述は、復帰準備委員会の日本政府代表を務めていた在那覇の高瀬侍郎大使が愛知揆一
外相に第8回会合を報告した「極秘」の扱いの電信にある。
復帰準備委員会は日本政府代表の大使級、米国政府代表の高等弁務官で構成され、琉球
政府の行政主席は「顧問」として参加し、復帰に向けた米国民政府からの対策などを協
議した。第8回会合は予定された1971年1月13日が、第一次毒ガス移送に重なり同27日
に延期された。毒ガスは69年7月、旧美里村(現・沖縄市)の知花弾薬庫に13000トン
が貯蔵されていることが毒ガス漏れ事故で明るみになり、撤去を求める抗議運動が起こ
った。第一次輸送後、安全性を懸念する沿道住民からコース変更を求める声が上がった。
27日に開かれた第8回会合では、代表会議に先立つ討論で、屋良主席が毒ガスの撤去や
那覇空港の民間移管などについて要請した。
その中で屋良主席は米軍基地内に保管していたことなどから米側の責任で撤去すべきと
の立場を示した。これに対し、ランパート高等弁務官が「そんなことでは事は進まない」
などと琉球政府側に責任を押し付け、米流の事務レベルで協議するよう要求した。
また、移送ルートの変更について日米の見解を求めるとランパート高等弁務官と高瀬大
使が「そもそも琉球政府はいかなる代替ルートを選定したのか。また前回のルートはい
かなる追加的対策を講じても村民を納得せしめられないのか」などと問い返し、移送
ルートを変更しない方向性を探った。
その後の記録では詳細などやり取りはない。毒ガス移送は結局、住民らの反発により第2
次ルートが変わった。
今回公開された外交文書の沖縄関係は一冊で、復帰準備委員会の第7回から第9回の会合に
関して、外務省本省と沖縄大使とのやり取りなどが含まれている。沖縄関係のファイルは
累計341冊目の公開となった。


【復帰前の政治情勢報告】外務省「独自、公情報を織り交ぜ」
外務省が20日に公開した外交文書には、沖縄の日本復帰に向けた復帰準備委員会に関する
ファイルに沖縄の政治情勢の報告や報道対応をめぐってやり取りする内容が含まれている。
第8回会合をめぐり、準備委員会の日本政府代表を務める在那覇の高瀬侍郎大使が愛知揆
一外相に送った電信には、屋良朝苗主席への「不信」などもあり「日本代表部への批判、
攻撃を強化することとなった」と記載するなど、沖縄の政治情勢を独自情報やオープンソ
ースを交えて報告していた。
この電信では、1971年5月4日の琉球新報の記事の「左派団体の県民の目を誤魔化す準備委
の当初の任務が終わり、舞台が東京・ワシントンに移った結果開店休業になっている」と
準備委を批判したことを伝えた。
その上で、在那覇の代表部が得た情報だとして、政党や労組などは左派団体は参院選に向け
た統一候補も選定できておらず「不振」だと指摘。背景には革新共闘で当選した屋良主席が
日本政府寄りで、背後に準備委や日本代表部が存在するとの見解が各方面から示されている
として、屋良主席への「不信」を踏まえて日本代表部への批判などが強まったとした。
公の記事内容と取得情報については「多くの日時を経ておらず、あまり筋書き通りにてまゆ
つばのごとく感ぜられるが、情報のまま報告する」と関連付けてまとめていた。
また、1970年11月の第7回会合では米国民政府からの諸機能移行について合意したが、愛知
外相が米国民政府が行政機能を停止する内容に関して、プレスリリース案分について修正や
削除を繰り返しを求めていた。当時の毎日新聞が民政府の一部権限移行を「施政権の分離返
還」と報じたとして「誤ったパブリィシティーを与える」となどと、市民への伝わり方に神
経を尖らせていた。


【沖縄関連秘密 なお保持】識者談話「我部政明琉大教授」
これまでの外務省による外交文書公開では、 364フォルダ、8万3830ページが公開されてきた
が、今回の文書公開では沖縄関係のフォルダは一つで約400ページ。外務省の公開文書で沖縄
関連はほぼ最終局面に差し掛かっているようだ。
公開文書は返還決定の前後で大きく二つに分類できる。返還交渉が始まる前の沖縄問題の調査
・把握に関する「南西諸島文書」と沖縄返還交渉関連文書だ。約9万ページの公開文書のうち、
4万4000ページが南西諸島文書で多い。
沖縄返還に関する文書は大きく分けて①沖縄の施政権を日本に返還するに伴って必要な裁判な
どの移管に関するもの②返還のための交渉③日本政府としての基地の提供に向けた地主との契
約などーーの三つの仕事があった。
①の権利移管では米国に加えて琉球政府ともやらなければならない。今回公開されている沖縄
復帰準備委員会では屋良朝苗主席は顧問になっている。返還交渉の内容は準備委では協議せず、
ある意味ガス抜きの目的もあった。準備委は日米協議委員会の下に位置付けられ、協議委が指
示した議題に基づいた案件のみ準備委で協議したため、沖縄からすると言える範囲が限られて
いた。今回の公開文書では未知の事項はない。
だが今回で外務省のすべての沖縄関連文書が公開されたのかというとそうではない。文書とは
連番で保管されているものだが、明らかに抜けている番号もあり、日米地位協定関連のものは
もっとあるはずだが抜けている。返還交渉も番号が抜けており未公開のものがあるのははっき
り分かる。この辺は相当秘密にしたいんだろう。

外務省の外交史料館の所蔵リストを見ると、まだ公開されずに残っているものがあるが、リス
トに入ってない文書もあり得る。それは公開する意思が外務省にないのだろう。疑問は尽きな
い。

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