2017年12月2日土曜日

《沖縄戦賠償 控訴を棄却》高裁那覇支部「住民側、上告の方針」

《沖縄戦賠償 控訴を棄却》高裁那覇支部「住民側、上告の方針」
〈琉球新報2017年12月1日 1面〉

沖縄戦で被害を受けた住民や遺族ら66人が国に謝罪と1人当たり1100万円の損害賠償を求めた「沖縄戦被害国家賠償訴訟」の控訴審判決が30日、福岡高裁那覇支部で言い渡された。
多見谷寿郎裁判長は日本兵の傷害行為や原告が抱える外傷性精神障害など戦争被害を認定しながらも、戦時の憲法下で「国の公権力の行使に対する賠償責任は認められない」などとして訴えを退けた一審の那覇地裁判決を支持し、住民側の控訴を棄却した。住民側は上告する方針。

多見谷寿郎裁判長は判決理由で沖縄戦の被害について「軍統治下で組織的に自殺を教唆、手助けしたことにより生じた特有のもの」と言及したが、戦争では全ての国民が被害を受けたとして「沖縄戦特有の事情から直ちに損害賠償や謝罪を請求することは認められない」よ判断した。
一方で、原告2人の受けた被害は日本兵による「傷害行為や自殺教唆の行為がうかがわれる」と言及。住民側が受けた外傷性精神障害などは「沖縄戦に起因する」とし、多くの原告住民らが「苦しんでいる」と一審判決にはなかった被害認定をした。
ただ、住民側が訴えた国の使用者責任については、国家賠償法施行前だったため損害賠償の責任を負わないとする「国家無答責の法理」で退け、原告2人が受けた被害の責任は「軍人らが個人で負うしかない」と指摘した。
被害補償については「援護法で何ら補償もされていない不合理な事態が生じないよう配慮されている」とし、「民間被害者への補償の在り方が不平等だ」との住民側主張を認めなかった。
瑞慶山茂弁護団長は「被害が甚大と認めながら救済を否定する不合理で不当な判決だ」と批判した。

《沖縄戦の傷 癒えず》国賠訴訟の二審棄却
〈琉球新報2017年12月1日 31面〉

開廷直後、裁判長は淡々と判決を言い渡した。「控訴を棄却する」。緊張感を漂わせて聞き入っていた原告席に座る原告らの表情は一瞬で落胆に転じ、ため息が漏れた。提訴から5年続く「沖縄戦被害国家賠償訴訟」の控訴審判決の言い渡しは、わずか1分間。「血も涙も ね~ん(ない)」「涙が出る」。裁判長の退席後も原告らはしばらく動けずにいた。司法は沖縄戦被害の実態に再び背を向けた。沖縄戦から72年、戦争被害者は苦悩を引きずったままだ。

【苦しみ72年、判決1分】原告落胆「血も涙もない」
「何のために司法に助けを求めたのか」。野里千恵子原告団長(81)は怒気を込め、原告席を後にした。7月20日の最終弁論で、渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)について証言した原告の金城恵美子さん(86)は、判決直後の取材に「裁判所は何を考えているのか」と憤った。
判決の2時間後。原告は県政クラブで会見に臨んだ。野里原告団長は「私たちはいくばくもない命。今まで口を閉ざしていたことを勇気を振り絞って訴えてきた」と裁判への思いを語った。しかし、判決は非情だった。
「国が起こした戦争を、国が責任を取らないことは理不尽だ」と怒りをあらわにし、一般の民間人の戦争被害を補償しない国に「本当に不平等だ」と訴えた。
コメントを促された金城さんはハンカチで口元を押さえて眉間にしわを寄せ、「私はもう何も言うことはありません」と苦悶の表情を見せた。
72年間、苦しみが続く原告の間に落胆が広がった。
車いすで傍聴した武島キヨさん(86)は沖縄戦中、砲弾の破片で左足など大けがを負い、今も体内に破片が残る。ズボンのすそをめくり、左足の傷跡を記者に見せた武島さんは「戦争がなくなれば傷つく必要もなかった。何の補償もない」と声を落とした。
沖縄戦で祖父母を失い、自身も足にけがを負った宜保千恵子さん(81)は「戦後長い間苦しんできた上に、訴訟は6年目に入る。亡くなった仲間の無念をを思うとつらい」と言葉を詰まらせた。原告は上告の方針だ。野里原告団長は「日本のゆがんだ国の方向性を正す機会にしたい」と語り、国の謝罪と損害賠償の実現に向け前を見据えた。

《司法の救済遠く》戦後処理 道筋示さず
〈琉球新報2017年12月1日 30面〉

司法は再び沖縄戦被害の実態から目を背けた。「沖縄戦被害国家賠償訴訟」で、福岡高裁那覇支部は1審の那覇地裁と同様に戦時の憲法下で国に「賠償責任を認める定めがない」と形式的な判断で住民の訴えを退けた。原告が主張する被害に対する国会議員の立法義務についても「生じない」と断じ、今も横たわる戦後処理の問題解決につなげる道筋を示さなかった。
控訴審判決は「集団自決」(強制集団死)で命を落とし、スパイ扱いされて日本兵に殺害された住民もいた事実を踏まえ、1審が触れなかった沖縄戦被害を認定した。その上で国には責任を求めず、これら被害について「当該軍人が個人責任を負うしかない」とした。沖縄戦の本質は本土防衛のためだったが、事実上、加害責任を矮小化した格好だ。
一方、戦後補償が援護法で「配慮がなされている」とも判示した。しかし、援護法は国の加害を認め、賠償する制度となっていない。被害者も戦闘参加者として申請することで援護年金が支給される仕組みになっている。
これは犠牲者が ”加害者” になることを意味する。現制度の下では遺族が抱える精神的な苦しみは消えることはなく、救済とは程遠い。
2012年の8月の提訴から数人の原告が亡くなった。戦後72年。戦争体験者や遺族は減少し続けている。戦争の教訓を次の世代に引き継ぐためにも戦争被害への責任と補償の在り方が国に問われている。

【国の責任否定は屁理屈】石原昌家沖国大名誉教授
昨年3月30日、安保関連法制が施行された日、「沖縄戦被害国家賠償訴訟」の原告団が1審判決を受けて控訴した。72年前の戦争でさえ被害住民に責任を取っていないのに再び、戦争への道を歩もうとする政府に立ち向かう歴史的裁判だ。
この裁判は沖縄戦の被害住民への謝罪を国に求め、戦闘による身体や心的外傷後ストレス障害(PTSD)という戦争後遺症に対する精神的被害に対して国家賠償を求めていることで画期的であった。
控訴審判決は「日本軍の兵士による傷害行為や自殺教唆行為の存在がうかがわれる。多くの控訴人らが外傷性精神障害の症状に苦しんでいる」と認めている。だが国の使用者責任については「基本的にこれを認めることはできず当該軍人が個人責任を負うしかない」とし、国に責任が及ばないよう屁理屈を述べている。
その上で援護法によって日本軍の関与による被害についても配慮がなされていると断じて原告側の訴えをことごとく退け、日本政府に戦争責任が及ばないよう理屈を並べ立てた判決と言わざるを得ない。

そもそも、ここでいう援護法とは戦傷病者戦没者等援護法のことで、軍人軍属等が対象である。そして「戦闘参加者についての申立者」を住民が申請して「壕提供」「集団自決」などという軍事行動に積極的に協力した者は、老幼男女が「戦闘参加者」という身分を付与され、遺族給与金などが支給される。しかも靖国神社に合祀して、国に戦争責任が及ばないようにしている。原告の訴えが通ったらこの構図が崩れることになるので、棄却したと言えよう。

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