2017年12月26日火曜日

《離島防衛にF53B》先島、大東で運用「短距離離陸型」防衛省が導入検討

《離島防衛にF53B》先島、大東で運用「短距離離陸型」防衛省が導入検討
〈琉球新報2017年12月25日 1面〉


防衛省が将来的に海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦で運用することも視野に、短距
離でで離陸できるF35B戦闘機の導入を本格的に検討していることが24日、政府関係者へ
の取材で分かった。既に導入を決めた空軍仕様のF35A計41機の一部をB型に変更する案、
別に追加する案があり、来年後半に見直す「防衛計画の大綱」に盛り込むことも想定して
いる。


【「空母」保有も構想】
護衛艦であってもF35B戦闘機を搭載すれば軍事的には「空母」と位置付けられ、自衛のた
めの必要最小限度を超えるため攻撃型空母を保有することは許されない、としてきた政府
見解との整合性が問題となる。アジア各国が強く反発することも予想される。
加速する中国の海洋進出への対処が目的で、当面は滑走路が短い南西諸島での運用を想定
し、将来的にヘリ搭載型護衛艦を改造するか新造する。
F35Bは空自が導入するA型の派生型で、米海兵隊に配備。空母よりも甲板が狭い上陸作戦
用の強襲揚陸艦に搭載するため、短距離で離陸でき、オスプレイのように垂直着陸が可能。
高度なステルス性を備えている。
防衛省はF35B導入で宮古、石垣、与那国島のほか、南・北大東島の各空港も空自戦闘機に
よる警戒監視活動に使用でき、活動範囲が拡大するとしている。実際にどの空港を使うか
は地元と協議するとみられる。
さらに将来、ヘリ搭載型護衛艦「いずも」「かが」などの艦首を、戦闘機が発艦しやすい
スキージャンプ台のように改修、甲板を耐熱塗装する。航空燃料タンクや弾薬庫を増設、
整備、管制機能を改造するなどとしてF35Bを搭載できる「軽空母」として運用する構想が
あるほか、強襲揚陸艦を新造する案もある。
尖閣諸島をはじめとする南西諸島で、空自戦闘機が離着陸できる長さ3千メートル級の滑走
路があるのは、下地島空港だけ。しかし、同空港は1971年、国と当時の琉球政府が締結し
た覚書で民間機以外は使用しないとされている。


《専守防衛 逸脱の恐れ》F35B導入検討『「空母」保有、アジア警戒も』
防衛省が将来的に「空母艦載機」としての運用を視野にF35B戦闘機の導入を検討している
背景には、中国の海洋進出、軍拡に対する危機感があるためだ。しかし、空母を保有すれ
ば、戦後日本の基本方針である専守防衛を逸脱してしまう恐れがある。


中国は近年、東シナ海から太平洋へと海空軍の海洋進出を加速、南シナ海では埋め立てで造
成した人工島を拠点に活動を活発化させている。
軍備面でも、ウクライナから購入して改修した初の空母「遼寧」が日本近海や南シナ海を航
行。4月に初の国産空母が進水、3隻目の空母も建造中とされる。
尖閣諸島問題などで対立が深まる中、防衛省・自衛隊には「中国の軍備増強がこのまま進め
ば、南西諸島周辺の制空、制海権確保が困難になる」との強い焦りがある。
政府は一貫して「自衛のための必要最小限度を超えるため、攻撃型空母の保有は許されない」
としてきた。だが、艦首から艦尾まで甲板が貫く海自の護衛艦に戦闘機を搭載すれば、世界
から日本が「軽空母」を保有したとみられるのは間違いない。
政府は「離島防衛のため」「艦隊防衛用」と説明、攻撃型ではなく防御型と主張するだろう
が、軽空母であっても、適地攻撃に使用するなど専守防衛を逸脱する運用が可能なことは明
白だ。アジア各国は強く警戒するだろう。
集団的自衛権の行使容認を含め、自衛隊の活動範囲を一気に広げた安全保障関連法が成立し、
装備面でも政府はほとんど議論のないまま次々と最新型の導入を決めている。敵基地攻撃も
可能な長距離巡行ミサイルも2018年度予算案に盛り込んだ。

北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の海洋進出を追い風として、自衛隊の装備を無制限に増強
し、専守防衛をなし崩しにすることは許されない。

2017年12月25日月曜日

《県民投票「知事選同日に」》県政与党検討「辺野古問う」

《県民投票「知事選同日に」》県政与党検討「辺野古問う」
〈琉球新報2017年12月24日 1面〉


辺野古新基地建設に関わる公有水面埋め立て承認の撤回に向けて、県議会与党が2018年11
月ごろに実施が想定される県知事選と同日に、県民投票を実施する案を検討していること
が23日までに分かった。県民投票で辺野古新基地建設に反対の意見が多い結果となった場
合に、翁長知事の承認撤回の根拠としたい狙いがある。


【承認撤回の根拠に】
14年の名護市長選以降、辺野古新基地建設が主要な争点となった県内選挙では建設に反対
する候補者がほぼ勝利してきた。一方、行政法の専門家や弁護士らは「有権者はその他の
政策も総合的に判断して投票していると、裁判所は判断するだろう」として、選挙結果を
根拠にした撤回は難しいとの見方を示している。
与党は知事選と同日に県民投票も実施し、辺野古新基地建設に対する県民意思も明確に示
すことで、県民投票の結果を承認撤回の根拠としたい考えだ。知事選と同日の県民投票実
施を検討していることを、翁長雄志知事ら県三役にも伝達している。
県民投票には約半年の準備期間が必要なため、県知事選と同日に実施するためには、18年
度初旬から住民による直接請求のための署名運動を開始し、県議会9月定例会までに県民
投票条例の制定が必要になる。
与党県議や県内の市町村議員110人余でつくる「自治体議員立憲ネットワークおきなわ」は
22日に総会を開き、18年の活動計画で県民投票に取り組むことを承認した。18年2月に開く
研修会で実現に向けた手続きや作業などを確認する。


《撤回後の訴訟にらむ》県民投票知事選同日『民意無視の判決、困難の見方』
〈琉球新報2017年12月24日 2面〉
政府が強行する辺野古新基地建設に対し、県議会与党が現時点で最も強力な対抗手段と位置
づけているのが、県民投票の結果を踏まえた翁長雄志知事による公有水面埋め立て承認撤回
だ。撤回後にその適法性を巡り、国との訴訟にもつれ込んだ場合でも、県民投票で辺野古新
基地建設反対の民意が示されれば、裁判所がそれを無視する判決を出すのは難しいとの見方
が強いためだ。


県や県を支援する弁護士らは、撤回するためには以下の5つの法的要件のいずれかを満たす
必要があると想定している。そのうち4つは新基地建設工事が進む中で、沖縄防衛局が取る
べき手続きを怠った場合のものだ。現在、県は各種法令に基づいた手続きを踏むよう防衛局
に求めているが、防衛局は県の要求にほぼ応じず、工事を進めている。ただ行政法の専門家
らはこれらのやりとりをもって撤回したとしても、短期間の裁判を経て、県が敗訴する可能
性が高いとみている。
一方、残り1つである県民投票の結果を基にした撤回であれば、撤回条件として定められる
「公益上の理由」に明確に当たるとして県勝訴との見込みを持つ。
県民投票は県民の署名による直接請求を経て、県議会で県民投票条例を制定した上で、県内
市町村の協力を得て実施する。踏むべきプロセスは多い。
辺野古新基地建設問題で翁長知事と距離を置く首長が協力しないことも想定されるが、地方
自治法上、県民投票の事務委任については市町村との誠実な協議は要するが、同意までは必
要ないと解釈されている。
県民投票は県ではなく、県民の請求に基づき実施されるものだ。仮に協力しない首長が出て
くるならば、県民の要求に応えない合理的な説明が求められるだろう。知事選という全県選
挙が同日に行われる場合であればなおさらだ。
来年もし県民投票が実現されれば、辺野古新基地建設の是非について、全県民が初めて法的
手続きを経た場で、意思を示すこととなる。反対の民意が示されれば翁長知事はその結果を
基に撤回することになるため、いわば県民の手で直接、沖縄の未来を決める機会になるとい
得そうだ。


【県民投票、撤回に必要】立憲ネット学習会「新垣弁護士が強調」
県議や県内の市町村議員でつくる「自治体議員立憲ネットワークおきなわ」が22日、県議会
棟で総会を開き、2018年活動計画などを承認した。第2部の学習会で新垣勉弁護士が講演し
「工事が進む前に翁長知事が撤回するには明確な民意を示す県民投票のプロセスがどうして
も必要だ」と語った。
新垣弁護士は「県内部で検討している撤回の法的要件5つのうち4つは工事が進む中で、政府
が県との約束を破ることなどでしか成立し得ないものだ。県民は工事が進む前の撤回を望ん
でおり、その実現のためには残る1つの県民投票を根拠にした撤回しかない」と説明した。
その上で「現状に対し、『知事、何とかしてくれ』と思う県民が多いはずだが、県民投票で
辺野古新基地建設に対する民意を明確にしないと知事は撤回できない。県民がどう運動する
かが問われている」と指摘した。

総会では日米地位協定の抜本改定を求める意見書を、全国の自治体議会で採択してもらうよ
う取り組むなどの2018年の活動計画が承認された。

2017年12月24日日曜日

《毒ガス移送 責任転嫁》外交文書公開「日米政府【琉球政府要求に難色】」

《毒ガス移送 責任転嫁》外交文書公開「日米政府【琉球政府要求に難色】」
〈琉球新報2017年12月21日 3面〉


外務省は20日、外交文書25冊を一般公開した。沖縄関係のファイルでは、日米両政府が
沖縄の日本復帰に必要な措置を実施計画を策定する「復帰準備委員会」の第8回会合で、
米軍基地内で見つかった毒ガス輸送について、米軍側の責任で撤去を求める屋良朝苗主
席に対しランパード高等弁務官が「そんなことでは事は進まない」などと琉球政府に責
任転嫁していたことが分かった。日米が移送ルートを変更しない方法も探っていたこと
も記されていた。


記述は、復帰準備委員会の日本政府代表を務めていた在那覇の高瀬侍郎大使が愛知揆一
外相に第8回会合を報告した「極秘」の扱いの電信にある。
復帰準備委員会は日本政府代表の大使級、米国政府代表の高等弁務官で構成され、琉球
政府の行政主席は「顧問」として参加し、復帰に向けた米国民政府からの対策などを協
議した。第8回会合は予定された1971年1月13日が、第一次毒ガス移送に重なり同27日
に延期された。毒ガスは69年7月、旧美里村(現・沖縄市)の知花弾薬庫に13000トン
が貯蔵されていることが毒ガス漏れ事故で明るみになり、撤去を求める抗議運動が起こ
った。第一次輸送後、安全性を懸念する沿道住民からコース変更を求める声が上がった。
27日に開かれた第8回会合では、代表会議に先立つ討論で、屋良主席が毒ガスの撤去や
那覇空港の民間移管などについて要請した。
その中で屋良主席は米軍基地内に保管していたことなどから米側の責任で撤去すべきと
の立場を示した。これに対し、ランパート高等弁務官が「そんなことでは事は進まない」
などと琉球政府側に責任を押し付け、米流の事務レベルで協議するよう要求した。
また、移送ルートの変更について日米の見解を求めるとランパート高等弁務官と高瀬大
使が「そもそも琉球政府はいかなる代替ルートを選定したのか。また前回のルートはい
かなる追加的対策を講じても村民を納得せしめられないのか」などと問い返し、移送
ルートを変更しない方向性を探った。
その後の記録では詳細などやり取りはない。毒ガス移送は結局、住民らの反発により第2
次ルートが変わった。
今回公開された外交文書の沖縄関係は一冊で、復帰準備委員会の第7回から第9回の会合に
関して、外務省本省と沖縄大使とのやり取りなどが含まれている。沖縄関係のファイルは
累計341冊目の公開となった。


【復帰前の政治情勢報告】外務省「独自、公情報を織り交ぜ」
外務省が20日に公開した外交文書には、沖縄の日本復帰に向けた復帰準備委員会に関する
ファイルに沖縄の政治情勢の報告や報道対応をめぐってやり取りする内容が含まれている。
第8回会合をめぐり、準備委員会の日本政府代表を務める在那覇の高瀬侍郎大使が愛知揆
一外相に送った電信には、屋良朝苗主席への「不信」などもあり「日本代表部への批判、
攻撃を強化することとなった」と記載するなど、沖縄の政治情勢を独自情報やオープンソ
ースを交えて報告していた。
この電信では、1971年5月4日の琉球新報の記事の「左派団体の県民の目を誤魔化す準備委
の当初の任務が終わり、舞台が東京・ワシントンに移った結果開店休業になっている」と
準備委を批判したことを伝えた。
その上で、在那覇の代表部が得た情報だとして、政党や労組などは左派団体は参院選に向け
た統一候補も選定できておらず「不振」だと指摘。背景には革新共闘で当選した屋良主席が
日本政府寄りで、背後に準備委や日本代表部が存在するとの見解が各方面から示されている
として、屋良主席への「不信」を踏まえて日本代表部への批判などが強まったとした。
公の記事内容と取得情報については「多くの日時を経ておらず、あまり筋書き通りにてまゆ
つばのごとく感ぜられるが、情報のまま報告する」と関連付けてまとめていた。
また、1970年11月の第7回会合では米国民政府からの諸機能移行について合意したが、愛知
外相が米国民政府が行政機能を停止する内容に関して、プレスリリース案分について修正や
削除を繰り返しを求めていた。当時の毎日新聞が民政府の一部権限移行を「施政権の分離返
還」と報じたとして「誤ったパブリィシティーを与える」となどと、市民への伝わり方に神
経を尖らせていた。


【沖縄関連秘密 なお保持】識者談話「我部政明琉大教授」
これまでの外務省による外交文書公開では、 364フォルダ、8万3830ページが公開されてきた
が、今回の文書公開では沖縄関係のフォルダは一つで約400ページ。外務省の公開文書で沖縄
関連はほぼ最終局面に差し掛かっているようだ。
公開文書は返還決定の前後で大きく二つに分類できる。返還交渉が始まる前の沖縄問題の調査
・把握に関する「南西諸島文書」と沖縄返還交渉関連文書だ。約9万ページの公開文書のうち、
4万4000ページが南西諸島文書で多い。
沖縄返還に関する文書は大きく分けて①沖縄の施政権を日本に返還するに伴って必要な裁判な
どの移管に関するもの②返還のための交渉③日本政府としての基地の提供に向けた地主との契
約などーーの三つの仕事があった。
①の権利移管では米国に加えて琉球政府ともやらなければならない。今回公開されている沖縄
復帰準備委員会では屋良朝苗主席は顧問になっている。返還交渉の内容は準備委では協議せず、
ある意味ガス抜きの目的もあった。準備委は日米協議委員会の下に位置付けられ、協議委が指
示した議題に基づいた案件のみ準備委で協議したため、沖縄からすると言える範囲が限られて
いた。今回の公開文書では未知の事項はない。
だが今回で外務省のすべての沖縄関連文書が公開されたのかというとそうではない。文書とは
連番で保管されているものだが、明らかに抜けている番号もあり、日米地位協定関連のものは
もっとあるはずだが抜けている。返還交渉も番号が抜けており未公開のものがあるのははっき
り分かる。この辺は相当秘密にしたいんだろう。

外務省の外交史料館の所蔵リストを見ると、まだ公開されずに残っているものがあるが、リス
トに入ってない文書もあり得る。それは公開する意思が外務省にないのだろう。疑問は尽きな
い。

2017年12月22日金曜日

《問うべきは沖縄差別》山城議長「公判の不当性主張」

《問うべきは沖縄差別》山城議長「公判の不当性主張」
〈琉球新報2017年12月21日 29面〉


名護市辺野古の新基地建設や東村高江の米軍北部訓練場ヘリコプター発着場建設に対する
抗議活動を巡り、威力業務妨害や公務執行妨害・傷害などの罪に問われた沖縄平和運動セ
ンターの山城博治議長(65)ら3人の公判が20日、那覇地裁(柴田寿宏裁判長)であった。
弁護側は最終弁論で今回の訴追は運動弾圧に当たるとして裁判で問う不当性を主張した。
最後に山城議長は「問われるべきは政府の差別的沖縄政策だ」と意見を述べ、結審した。
判決は来年3月14日に言い渡される。


【那覇地裁「3月14日判決】
弁吾側は薩摩侵攻や琉球処分、沖縄戦、戦後など沖縄の歴史を列挙し「事件の本質は沖縄
差別や基地負担の現実にある」と指摘した。その上で「憲法を踏みにじる日米両政府の姿
を直視し憲法の理念に基づく判決を願う」と求めた。
資材搬入を止めるためのブロックを積み上げた行為について、威力業務妨害を適用するこ
とは「表現の自由を侵害し違憲だ」などと主張し、器物損壊を除く各事案で無罪を訴えた。
検察側は4日の論告求刑公判で「主義主張を、違法な手段で実現しようとした。正当化でき
ない」などとして、山城議長に懲役2年6ヵ月を求刑した。
起訴状によると、山城議長は2016年1月に名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ工事用ゲ
ート前でブロックを積み上げ、資材搬入の業務を妨害したとされる。
公判前に那覇地裁近くの城岳公園で開かれた集会には、約180人の支援者が集まった。裁判
勝利に向け「最後まで頑張ろう」と気勢を上げた。


【被告の主張 的外れではない】傍聴記、森川恭剛・琉球大学教授
山城博治氏は最終意見陳述で事実へのこだわりを見せた。沖縄の平和運動をおとしめ、事実
に反する罪を着せる。そのことが許せなかったのだろう。そして沖縄の夢を奪わないでほし
いと最後に付け加えた。
裁判では5件の公訴事実を争った。論点は多肢にわたるが、傍聴を通し全体として次の感想
を持った。
2014年7月、臨時制限区域が設けられた辺野古海上で「海保の暴力」が問題になり、現在は
2件の国賠裁判が提起されている。他方、高江の森や辺野古のゲート前では県外から派遣さ
れた「機動隊の暴力」が問題になったが、反対に山城氏らが刑事訴追された。
海上では海保がカヌー隊を押さえ込むのは容易なのだろう。しかしゲート前では、抗議行動
の参加者が機動隊の数を上回ることがある。また16年9月、高江の森の中に数十人が入って
ヘリパッド建設工事に反対し始めた時、基地侵入罪の適用を困難視した国はもはや押さえ込
めないと危惧した。そこで山城氏らを逮捕・勾留し、抗議行動の力をそごうとした。
被告3人は正義ある裁判と述べた。刑事事件としては異例だが、県民の怒りや悲しみをよそに、
基地建設を強行する沖縄防衛局が被害届を出した裁判だったことを思えば、的外れとは言え
まい。


【加害者の免責、米政府が要求】米兵タクシー強盗致傷
2008年1月に沖縄市で発生した米軍人2人によるタクシー強盗致傷事件の補償問題で、示談書
の文言を巡り、米政府側は19日までに、見舞金を支払うに当たり、加害者の賠償責任を免責
しなければ、支払いはできないと沖縄防衛局を通して伝達した。

2017年12月21日木曜日

《県民投票、困難視も》

《県民投票、困難視も》
〈琉球新報2017年12月21日 2面〉


辺野古新基地建設を巡り、改めて反対の民意を示そうと県民を対象とした住民投票(県民
投票)を模索する動きがある。辺野古埋め立て承認後に起きた新たな事由として、承認撤
回の主要な根拠となり得るとの見方が強い。ただ実際に県民投票を実施するとなると、県
内自治体での実務作業があり、各首長の協力がどこまで得られるかが不透明。低投票率な
どへの懸念から実行を困難視する向きもある。
翁長雄志知事は「県民が主体となって十分議論されることが、県民投票を実施するか否か
の大きなことになる。私からは県民投票条例の提案は考えていない」と、住民判断にゆだ
ねる考えを示している。
県民投票について謝花喜一郎公室長は「これまでに全国で24件の住民投票が行われ、うち
直接民意が反映されたものが22件だった」と述べ、影響の大きさを指摘した。
さらに県民投票の結果と辺野古を巡る裁判との関係について謝花公室長は「知事が埋め立
て承認を撤回し、くにがそれに対して代執行訴訟を起こすなど裁判になった場合、県民投
票で示された民意は(裁判に)相当の影響が出ると思う」と述べた。
1996年の基地の整理縮小を問う県民投票に関わった関係者によると、翁長県政と距離を置
く首長の「チーム沖縄」からの協力が得られなければ、低投票率になりかねず、投票実現
を疑問視する声もある。


【民主主義の在り方問う】
名護市民投票で示された「辺野古ノー」の民意は、現在も続く辺野古新基地建設反対・県
内移設反対の沖縄の民意の原点だ。その後の各種選挙や世論調査、県民大会などで幾度と
なく示されてきたノーの民意は、20年経過しても変わることはなく維持され続けている。
米軍普天間飛行場の返還は20年前に「5年ないし7年」と日米で合意された。
だが普天間第2小学校米軍ヘリ窓落下事故に象徴されるように、普天間飛行場の危険性は放
置されたままだ。
日米政府は、普天間飛行場の位置する中部地域よりも人口密度が低く、海に面している辺野
古への移設が「沖縄の負担軽減」になると強調してきた。だが昨年末に米海兵隊輸送機オス
プレイが名護市沖に墜落し、市民らは「普天間で危険なものは、辺野古でも危険」との思い
を改めて強くした。県内での基地のたらいまわしによる沖縄の負担のしわ寄せにノーを突き
つけている。

辺野古の海を臨むテントで始まった座り込みの非暴力・不服従の抵抗運動は5千日を数え、辺
野古ゲート前にも波及している。これほど反対の意思が持続的に示されいるのにも関わらず、
政府はそれを押し込めて続けている。「こんな県がh下にあるだろうか」(翁長雄志知事)と
いうように、名護市は民主主義の在り方を今も全国に問い続けている。

《住民投票、各地に拡大》名護実施から20年『地域課題に直接意思表示』

《住民投票、各地に拡大》名護実施から20年『地域課題に直接意思表示』
〈琉球新報2017年12月21日 2面〉


米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の是非を問う名護市の住民投票から20年が経過
した。この間、県内では辺野古移設に反対する民意が根強く続く。一方、名護市民投票以
降、全国でも住民自身が地域の課題に意思を示す手段として住民投票は広がっている。20
年たっても辺野古移設は進まず普天間飛行場の危険性は残されたままだ。辺野古沖の新基
地建設を巡り翁長雄志知事の埋め立て承認撤回に向けて県民投票を模索する動きもある。


1997年12月に実施された名護市民投票から20年。地方自治体の重要な課題について条例に
基づく住民投票を実施するケースは、その後各地で活発になっている。
住民投票は、地域の課題について住民が自らの意思を表明できる制度。法制度から見ると、
①憲法に基づくもの②地方自治法など法律に基づくもの③地方自治体が定める条例に基づ
くものーーの三つに大別される。一般に「住民投票」と言えば、③の条例による住民投票
を指す。
住民は、有権者の50分の1以上の署名で条例の制定を請求することができる。
条例による住民投票は、投票結果に法的拘束力がなく、事実上の政治的拘束力にとどまるが、
結果があからさまに無視されことは少ない。
日本で初めて本格的な住民投票が実施されたのは96年8月の新潟県巻町(現在は新潟市に編入)
で、原子力発電所の建設計画を巡り「反対多数」となり建設はその後、白紙になった。
97年の名護市民投票では反対が過半数を占めたものの、投票後に当時の比嘉鉄也市長が基地
受け入れを政府に表明し、辞任した。
住民投票が実施された当初は、原発や在日米軍基地、産業廃棄物処理場施設など比較的大き
なテーマの、いわゆる迷惑施設「NIMBY](Not In My Backayard=自分の裏庭には持っ
てきては欲しくないの意)設置の是非を問うものが多かった。近年では、多額の費用がかか
る公共施設建設の是非なども争点になっている。
沖縄の米軍や自衛隊基地関係では名護市民投票の前年、96年9月に米軍基地の整理・縮小を
争点に県民投票を実施。日米地位協定の見直し・基地整理・縮小への賛成が約9割を占めた。

15年2月には与那国町で陸上自衛隊の部隊配備の是非を問う住民投票を実施。賛成多数で、
政府の配備推進を追認した形となった。

《反対結果 左右されず》【辺野古移設問う 名護市民投票20年】

《反対結果 左右されず》【辺野古移設問う 名護市民投票20年】
〈琉球新報2017年12月21日 1面〉


【比嘉元市長「受け入れ振興」】
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の是非を問う、1997年の名護市民投票から21日で20
年がたった。受け入れ反対が過半数を占め染めた結果に反し受け入れを表明後に名護市長
を辞任した比嘉鉄也氏(90)は、20日までに琉球新報のインタビューに応じ、市民投票の
結果は、自身の受け入れ判断に影響しなかったことを明らかにした。
一方、市民投票前、当時の大田県政が、移設について「国と名護市で考えること」との姿
勢を示していたことについて「知事に『相談に乗ってくれ』と言っても、一義的には『名
護市が考えること』とのことだった。県に対する不信感があった」と述べ、国の安全保障
に関する重要な判断を一自治体に押し付けられていた理不尽さを振り返った。市民投票は、
基地問題に関する住民投票としては全国で初めて実施され、反対票が1万6639票と、賛成票
の1万4267票を約2300票上回った。
比嘉氏は米軍キャンプ・シュワブ案が浮上した96年当初は反対の姿勢だったが「名護市民
とやんばる全体のことを考えると、振興策が必要だった」と述べ、政府の北部振興策を重視
し、受け入れを判断したと説明した。
また、市民投票の結果が受け入れの判断に影響を与えたかとの問いには「なかった」と述べ
た。また、「移設をはいというか、駄目というか、非常に分かりにくいことで思案して、最
後は決断した」と述べた。その上で「反対の結果が出て、ただでは済まないと思っていた」
とも語り、受け入れ表明と共に辞任する意向を固めていたという。
比嘉氏は、受け入れの決断は間違いではなかったと主張し「名護市民とやんばる全体のこと
を考えた。受け入れる代わりに北部振興策を引き出し、10年で1千億の振興策を閣議決定さ
せた」と語った。

比嘉氏は辞任後、これまで5回の名護市長選が実施された。いずれも辺野古新基地問題が大き
な争点になってきた。岸本建男市長(98年~2006年)は15年の使用期限など7条件を付けて
受け入れを表明した。島袋吉和市長(06年~10年)は現行のV字型滑走路案で合意した。10
に反対を掲げる稲嶺進市政が誕生し、14年の市長選でも再選した。翁長県政と連携し新基
地阻止を訴えている。政府は「辺野古が唯一の解決策」として建設を推し進めている。

2017年12月19日火曜日

《CH53 飛行再開へ》きょうにも、政府容認

《CH53 飛行再開へ》きょうにも、政府容認【普天間第2小学校・ヘリ窓落下】『米軍
「学校 最大限回避』
〈琉球新報2017年12月18日 1面〉


在沖米海兵隊は18日、米軍普天間飛行場所属の大型輸送ヘリコプターCH53Eの窓が普天間
第2小学校に落下した事故について、二重の「人的ミス」だと正式に発表した。防衛省は
発表を受け「CH53Eの飛行を再開するための措置がとられたとの判断できる」と飛行再開
を容認した。防衛省関係者によると19日以降に飛行を再開する。米軍機の事故が相次ぐ中、
10月の高江米軍ヘリ炎上事故で示された「人的ミス」を防ぐための再発防止策が徹底され
ていないことになり、県民の反発は避けられない。


米軍は今後、普天間飛行場を離発着する全米軍機の搭乗員に対し、同行を含む市内全ての
学校上空の飛行を「最大限可能限り避けるよう指示」したという。対象は普天間飛行場周
辺の幼少中高大28施設。7日には宜野湾市内の保育園にCH53Eの部品が落下したが、保育
園は対象となっていない。また、学校上空の飛行回避についても、気象条件などで「安全」
のために飛行する可能性は排除されていない。
事故は搭乗員が①飛行前に緊急脱出用の窓のレバーに「安全ワイヤ」が付けられていない
ことを見落とし②窓のレバーを誤ったか、不注意で緊急脱出の位置に動かされたーーとい
う二重の人的ミスがあったと結論付けた。事故については「当該機固有の問題」として、
他の同型機とは無関係で、構造上、機械的な欠陥はなく「飛行安全上の問題はない」と位
置付けた。
一方、6人いた搭乗員のうち誰が確認を見落としたかなどは不明で、ワイヤは紛失してい
るという。
再発防止策については、飛行安全に関するブリーフィングや整備規則の徹底のほか、今回
の事故を受けて複数の整備員がワイヤの固定確認を実施すること、これまで外されるがあっ
たワイヤを整備・点検以外では恒常的にに取り付ける措置などを講じた。
防衛省は実効性を担保するためだとして、普天間第2小学校に飛行状況を確認する監視カメ
ラを設置する。同時に普天間飛行場周辺の学校の位置を示したフライト・マップを作成す
るとした。


【学校側「納得できず」】上空、一切の飛行中止要求
在沖米海兵隊政務外交部長ダリン・クラーク大佐は18日、大型輸送ヘリCH53Eの窓が落下
したした普天間第2小学校を訪れ、喜屋武悦子校長らに再発防止策について「最大限、学校
の上を飛ばない」と伝えた。学校側が校舎や運動場の上空を飛ばさないよう求めていたのに
対し、米軍の回答は従来と同じ努力する姿勢に示すにとどまった。喜屋武校長は「『最大限』
では納得できない。もう飛ばないという回答がほしい」と求めた。
クラーク氏は喜屋武校長らに謝罪した。同席した市教委の加納貢指導課長が事後に報道陣に
面談内容を伝えた。喜屋武区長は「645人の子どもの命を預かっている校長としては『最大
限飛ばない』では納得できない。もう飛ばないという回答でなければ保護者にも説明できな
い」と訴え、文書での回答を求めた。
クラーク氏に同行した沖縄防衛局の伊藤晋哉企画部長は「『最大限』という言葉は残るもの
の、上空を飛ばないということを米側に確認した。文書でできるだけ早く回答していきたい」
と述べた。
事故を起こした機種のCH53Eについてクラーク氏は「全機を徹底的に調べた。乗務員や整備
員にも安全教育を徹底した」と強調した。喜屋武校長は「安全教育を徹底したと言っている
が、当たり前のことだ。とにかく上空を飛んでいることがまずい」と指摘した。
宜野湾市教育委員会は面談冒頭を報道陣に公開するよう求めたが、米軍側に断られた。