2016年11月15日火曜日

日本兵、住民虐殺の見出し

今日の琉球新報一面トップ『日本兵、国頭で住民虐殺』「スパイ嫌疑で9人」
事件詳細、村史に初記録
日本兵による住民惨殺事件の記録は多くの地域に残っている。比較的戦闘の被害の少ない国頭でも住民9人も殺されていた。
米軍と米海兵隊、自衛隊と旧日本軍とを特に区別する必要性もない。軍隊と基地施設そして実力武力行使が任務である組織、国籍と時間を超えて戦闘になれば違いはない。
普天間飛行場の危険性除去のため早期移設と言われて20年が過ぎ、ほとんど動かず、基地機能強化のため今、強硬に辺野古新基地建設埋め立てが進められ、高江のヘリパッド建設が進められている。仮に普天間飛行場の移設理由で辺野古埋め立て基地建設が終わっても、うまくいったとして数十年先しか普天間は返還されない。もしくは返還されるかも未だに疑わしい。
安保法が成立し集団的自衛権が認められ、自衛隊と米海兵隊との連携強化、合同演習が進められ、その訓練の舞台として辺野古、高江がある。
この地域の将来的なあり方を想像するのはそんなに難しくはない。
米軍基地が減っても自衛隊基地に置き換わっても根本的な問題は解決しない。それは歴史が証明している。
基地は基地、米軍であろうと自衛隊であろうと旧日本軍であろうと特に沖縄においては悲劇しか起きない。
4人に1人が死んだ沖縄戦、その沖縄の安全保障とは戦闘において、その被害が10人中1人の被害に抑える現実的な発想になる。今の日本の被害想定のない安全保障など絵空事の机上の空論でしかない。
安全保障、防衛力、抑止力と言いつつ、他国へ攻め入る軍事力を高める偏った敗戦劣等感では危なっかしい。
「一歩たりとも他国軍に国土を踏ませない」安全保障論では国土と国民を守ることは不可能。
斬れ味鋭い日本刀を持てば辻斬りで試したくなるのは世の常だ。歴史的に日本が他国に攻められたことより他国へ攻め入ったことが多い事実に目を向けない先の大戦のやり直し、もっと上手くやれたのではないかという感情の流れは国際的に恐ろしいもので、いつまで経っても敵国条項から抜け出せない理由ではないか。
国会で安倍首相にしては珍しく、盛んにサンフランシスコ条約によって戦後の日本があると昨日の答弁で言っていた。それを言わないといけない環境とトランプ大統領になったアメリカと国際社会への敗戦国の気遣いなのだろうか

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